エジプト、中東、モロッコ、中央アジア、東南アジアなどイスラム圏を旅した。
そこで、道路や公園など屋外で礼拝アピールしている人を見たことが無い。
中東のセルビスでの長距離移動で休憩は無く、半日間誰も祈らなかった。
今、外国で道や駐車場など、歩行者や車の通行を妨げる場所、あるいは不法侵入をしてまで、礼拝行動をアピールしているのが異様に感じる。
イスラム教徒の礼拝をモスク以外で見かけたのは、どれも屋内の静かな場所だった。
ヨーロッパのドミトリーでは、ムスリムの同室者は部屋の隅で静かに祈り、
エジプトのホテルでは、スタッフがフロントデスクの下で礼拝をしていた。
他でも、人々は屋内施設の片隅で静かに祈りを捧げていた。
本当に祈りたいなら、静かで落ち着く場所で行うのでは?

大勢の人が行き交う商店街の通りや、トランプタワーの前、コンビニや商業施設の駐車場で、本当に祈りに集中できるのだろうか?
そのような行為をする人たちは、誰かに命じられているのだろう。
自国の言葉の読み書きができない層の人たちだ。
命令して言いなりにさせるのは簡単だ。
SNSで、「道路で祈る集団が迷惑なので礼拝所作ってやればいい」という投稿を目にした。そういうことを考える人がいるかもしれない。
知らない人は「この宗教はこういうものだ」と思うかもしれない。
これは危険だ。
また、同胞が移民反対ポストに意味不明な因縁をつけてきた。
他の人のコメントを見て、そうした行動をする人の傾向が分かった。
洗脳か?都合よく利用されていることに、気づくことはないのだろうか。